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時間の秘密を解き明かした日
2010-02-09 Tue 03:39
人間、つまり何をやっているのか?


死にたくないから生きているのか?
ごはんを食べているから肉体が活動を続けているのか?
呼吸をしているからか?
心臓がまだ動いているからか?


どこに向かって?
何を手にするために?
誰のために?




今朝起きて、朝ご飯食べて、
働いて、昼ご飯食べて、
働いて、夜御飯食べて、
今日という日はつまり何だった?




人生で2度、その答えを掴んだ瞬間があった。
それは気のせいだったかもしれないけど、
まるでホームランを打ったバッターの手に残る感触のように、
それは確かに空高くに放物線を描いて飛んでいった。


2007年夏。
日本を離れて1年。
やたら物を失くした夏。

ブルガリア、ギリシャ、マケドニア、、、
世界を切り取ってきた一眼レフをなくした。

ボスニア、クロアチア、スロヴェニア、イタリア、フランス、、、
ストリートで奏でてきたバイオリンを盗まれた。

バックパック背負って生きている旅人なんざ
たいがい手足の軽い生き物だけども、
僕は目も耳も失ってしまった心持ちで。

そして3年間好きだった女の子に絶交を言い渡された。
それは身体をまっぷたつにして、右半分なくなってしまったみたいな心持ちで。

かと思いきや、彼女はのほほんと連絡をよこしてきて。
ふざけんな、と。
怒り、悲しみ、寂しさ、虚無感。
僕は心を無くしてしまったようで。



ブルガリア、ボスニア、イタリアで、
野山でキャンプしながら俗世を離れた生活を3カ月ほどして、
すこしずつ彼女のことを忘れていって、思い出さなくなっていって、
ああ、意外とすんなり忘れられるものかと思ったら、
あるときものすごい寂しさにおそわれて、それで
あ、まもなくずっと遠くに君が行くな、というかんじがして、
事実そうで、それからまったく頭にも心にも浮かばなくなって。



そうしたら野山に生きる中で、目の前にひろがるものが
完全な自分の世界になった。
目に移る景色、鳥の声と川の音、草のにおい、
そういうものだけ、本当にそういうものだけが自分の世界となった。


瞬間瞬間に移り変って、生まれ変わる世界。
言い古された言葉ながら、今という瞬間に生きることを知った。
瞬間瞬間が金太郎飴みたいで、
次の瞬間同じように見えるその断面はもう次の世界。
時間というものの秘密を解き明かした、と思った。

自分の人生の生まれてきてからこれまで。
やったこと、考えたこと、感じたこと。
それら全ての因果がジグソーパズルのように完成して、
そのとき僕はもう、生まれてきたことそのものが嬉しくて尊くて
涙があふれて止まらず、人間にも自然にもすべてに深く感謝して、
とにかく、とにかく単純に幸せであった。

それは紛れもない幸福で、手に触れられるたしかなもので、
幻想でも逃避でもなく、けっこう苦難辛苦をなめて生きて、
道を追究したのちに辿りついたひとつの回答だった。

何かを手に入れること、
追い求めることに全身全霊でむかってきた自分にとって、
その世界はガリレオコペルニクス的な大回転だった。
夢も情熱も持たず、ただ僕はそこに生き物として生きていた。


欲しいものは一つもなく、
失いたくないものは一つもなく、
避けるものも疎むものも一つもなく。



目に映る光、または闇、
右の鼓膜が捉える振動、左の鼓膜がつかまえる響き、
鼻孔を流れる風、
喉を透く小川の清流、
若草に横たえる背中の感触。


浮かんでは消える思い。
思考や感情や感覚。


そして目の前にいる人々。


林檎を食べて僕は泣き、
black birdを聴いて僕は笑い、
太陽は僕を突き刺して地球の反対まで輝いた。


明日の予定などなく、
昨日にやり残したことなどなく、
今日がすべて今がすべて、
今日が西暦の何年だろうと、
今が何時何分だろうと関係なかった。

ただ、昼は温かく、夜は寒く、
薪を集めて火をおこし、お茶をすするだけだった。



世界のすべてが生まれたての子供のように瑞々しかった。



そのとき僕は家に帰ったのだった。








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罪悪感情
2010-02-09 Tue 02:25
同居人の、コップを割ってしまった。

彼女の大学院卒の記念の大事なコップだった。

それを、手をすべらせて割ってしまった。

こんな日は、消えてしまいたくなる。

そのコップは僕の命より重いのではないだろうか?

少なくとも今。

こんな日は、居なくなってしまいたくなる。

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音楽家の言葉
2010-02-07 Sun 02:33
音は風景の中にあり、風景は音の中にある。

この世にある素晴らしい音楽達はきっと誰のものでも無く、

でも全ての人のものでもあるんだろう。

決して作り手のものでは無い。感じた人のものだ。



踊ろうマチルダ
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仲間についての視点
2010-02-05 Fri 00:10
京王線の八幡山の駅前の餃子屋の肉まんが死ぬほど美味かった。

歩きながら「うまいうまい」と食べていて、

食べ終わって店から200mくらい離れていたんだけど、

この感動は伝えなければならないと思って引き返し、

「おばちゃん!肉まんものすごい美味しかったですよ!」

って言ったら、おばちゃん、切り干し大根をくれた。

感動は伝えるものである、うむ。




ところで1年ぶりくらいに体調がわるい。

身体が重くて仕方ない。

それは3年ぶりに肉を食べ始めたからなのか、

これまで抑圧してきた感情にアクセスを試みているからなのか、

肉食男子なのに草食な仕事してることのフラストレーションなのか、

たぶん全部なのでしょう。




ところで、「仲間」について想ってみた。

いつかの将来、どこかで出会って、目標を共にする仲間が、

この世のどこかに居る、とする。

今はみんなそれぞれ独りだけども、

空高くから俯瞰してみれば、ぜんぜん独りではない。

ワンピースの1巻には、サンジもチョッパーも出てこないけども、

彼らはすでにその世界に存在していた。みたいな。




みんなそれぞれの場所で戦っている。

それぞれのやり方で一生懸命に生きている。

彼ら彼女らに恥じない毎日を生きよう。




人生の今は第何章目くらいだろうな?


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死についての視点
2010-02-04 Thu 01:07
今日も役者修行。
「寂しい」「悲しい」という僕にとってリアリティのない感情に
なんとかアクセスしようと四苦八苦しています。
しまいに発熱する始末、深層心理から拒まれている感じですわ。

そして外は雪化粧。
帰り道、ふと、「いつか死ぬんだよなあ」と思いました。

雪が降って寒いなあ、とか、
肉まんうめえなあ、とか、
今日も月がきれいだなあ、とか、
そういうの、ぜんぶいつかなくなるんだなあ、と。

「死」について、人はどういう価値観を持ってるんだろう?

①すべての終わり
②肉体の滅び
③あの世への旅立ち
④使命を果たすまでのタイムリミット
⑤得たいの知れない怖いもの
⑥人生の一大イベント
⑦〆切



「死」という概念を知ったのは何歳でしたか?



「死」という概念に初めて恐怖を持ったのは何歳でしたか?



「死」がリアルな感情を伴わなくなったのは何歳でしたか?



「死」までにやらなきゃならいことがある、と知ったのは何歳でしたか?





「もし、あなたがあと3ヶ月で死ぬとしたら・・・」

なんて質問がよくありますが、

そんなのでリアルに死を感じられることってそうそうないですよね。

じゃあどうすればもっと「死」をリアルに感じて生きていくことができるのでしょう?




もしかすると、もうすぐ身近な人が死ぬのかもしれないな、

とふと思いました。

それはまったく予想もつかない、あの友達かもしれない。

どの言葉が最後になるかも分からない。

急いでて適当に打った携帯メールが最後になるかもしれない。




少なくとも、今の僕に「死」はあんまりリアルでない。

それは、「生」もまたリアルでないってことだ。
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