小学生の頃の夢。
それは漫画家になることだった。
それはもう夢中になって絵を描いていた。
ごはんの時間になっても、寝る時間になっても、
それはもう夢中で、そこに時間はなかった。
子供にはどうしようもない現実とかあって
そのガキは無意識に、紙の上に、空想の中に
答えを探し求めていたのかもしれない、とか思う。
中学生になってバスケ部に入り、
夢は、NBAの選手になることになった。
そんなの無理に決まってるじゃないか、
そんなこと未だかつて日本人は一人も叶えていないんだから。
1年、2年もやれば現実は見えてくる。
しかし疲労骨折するほど練習しながら、僕はバスケが大好きだった。
10年後、僕と同じ年の青年は夢を叶える。
日本人として初めてのNBA選手が誕生することとなる。
高校生になり、僕はなぜだか宇宙に思いを馳せた。
獅子座流星群のときなんか、公園で寝袋にくるまって朝まで流星を眺めた。
不思議で不思議でしかたなかった。
130億年前、宇宙が誕生した。
じゃあ、その前は?
無。
は?
無が、あった?
なんじゃそりゃ。
「超ひも理論」
宇宙には26次元(この世界は通常3次元)のひもがあって、
そのひもの振動とかなんとかで宇宙の仕組みが説明できるという。
なんじゃそりゃ!
ひも!?笑
僕は宇宙物理学者になることを夢見た。
「なんじゃそりゃ」が「なるほどそうか」に変わる日が来るかもしれない。
故郷を出て大阪で一人暮らし。
バイト、合コン、サークル、麻雀、酒、、、
典型的な大学生モラトリアム生活。
数々の夢は水洗便所に流されてどこか遠い海へ流れていく。
そもそも社会なんてものに期待していなかった。
それは人生の墓場で、その先は嫌々する仕事があって、
おもしろくもない顔して会社に行って、家に帰る生活、
そんなものしか存在しないと思っていた。
希望などハナッからなかった。
それに元々身体が弱くて体力に自信もなかったから、
だから、古本屋で好きな本なんか読みながら
ゆっくり余生を送れたら(笑)と思っていた。
ところがどっこい超激務、
二徹、三徹あたりまえの総合商社に入社する。
なぜならそこに希望を見いだしたからだ。
人生は自分の力で切り開いていける、
その会社の社員達にあってそう思えたのだった。
しかし現実は甘くない。
当時は不景気の絶頂、僕のはいった会社は
内定から入社、退社のおよそ2年間に2000人ものリストラを実行、
社内は完全に負け戦の空気、
やる気まんまんで入社したのに、誰一人甲子園を目指す野郎はそこにいない。
そんなこんなで歯がゆい思いをしながら受けていた新入社員研修中、
親友から一本の電話。
そいつは人生の行く末について悩み抜いた末に就職浪人し、
そしてさらに1年かけて本当にやりたいこと、挑戦したい会社を見つけ、
そこの内定をとったという連絡をくれたのだった。
新橋でそいつと会った。
つかつかと二人は近づき、何も言わず、思いっきり、
バチン!!!!!!!!
とハイタッチをした。
その瞬間に、流れ星のように夢が降った。
その未来に居る僕は歓喜のなか涙を流していた。
仲間がたくさんいて喜びを分かち合い抱き合っていた。
何かの困難に立ち向かい、それに打ち勝ち目標を達成し、
ビールかけをし、ゲラゲラ笑いながら、嬉し泣きしていた。
そんなスラムダンク最終話のような場面が一瞬にして走馬灯のように
アタマとココロの中をフラッシュ!し、血管を駆け巡った。
ビジョンの味はとても汗くさく青くさかった。

そして2年後、その夢は叶えられる。
2年前に脳裏をかすめた映像が1ミリの狂いもなく現実化した。
20代8人で立ち上げた新会社。
それはそれは夢のような日々、いや夢の中を走る日々。
毎日楽しすぎて、家に帰るのが深夜2時でも何の苦もなくて、
例えば1億つまれても他の会社や組織に興味はない、とかよく思ってた。
そしてその先の挫折と敗北。
「仲間と会社を創りたい」という夢は叶えられた。
しかしその夢の中に、「その会社で何を実現するか」
ということは盛り込まれていなかった。
いや、言葉として存在はしていたが、そこに魂が吹き込まれていなかった。
それは例えば感情のこもっていない役者の演技、みたいなもので。
それは致命的に組織を蝕み、崩壊させていった。
そして世界に旅に出る。
夢に息吹をあたえるため、この人生に意味を、存在に意義を見いだすため。
その冒険への船出は、そりゃあもう、
小学生のときに読んだドラゴンボールよりもプレイしたドラクエよりも、
300倍くらいドキドキワクワクした。
それまでの人生で積み上げたものを全て空に放る爽快感。
完膚なきまでに日本社会のレールを脱線するヤッホー感。
心の地図を塗り替える。
不確定な未来に対するはちきれんばかりの希望。
すべてが出たとこ勝負、サイコロふって日々過ごすようなもの。
そしてすべてが自分次第。
事実は小説より寄なり、
人生はミステリー小説、
与えられた断片的な情報から手がかりを集め、
帰結するメッセージへと近づいていく。
1000日の旅はどんなフィクションよりフィクションだった。
思い返せば返すほど不思議なプロセスと結末。
何かに導かれているとしか思えなかった。
決定的に僕を変えた。
価値観、人生観、世界観、ぜんぶまるごと。
いつかちゃんと書くなりなんなりして皆に伝えられるといいな。
ここでは端折る。

そんで帰国して、
だいぶ出来事とか時間すっとばして、
そして3日前。
それはとてつもない秋晴れの日、
空はもう劇的に青く、風は物語のように身体を貫き吹く。
目が眩むような太陽がななめから優しく差し込み、
そのとき、なんでだか、不意に思った。
ああ、いま死んでもいいや。
空や風や太陽や、商店街やおばちゃん、
そこに在る全てが暗喩となり、
全細胞がメール受信箱みたいになってメッセージを受けとった。
全身で知った。
またひとつ、夢が叶えられた。
叶えられて、いた。
それは夢とか大それて呼ばれることもなく、
ほのかに、しかし地下水脈のようにこんこんと静かに
僕の心の奥底を流れ続け、
絶えることなく願われていたこと、祈られていたこと。
愛する友人の笑顔。
心からの。本当に心からの。
深い深い悲しみの、暗闇の果ての、光。
絶望を味わい尽くした最後に残った、希望。
人生という物語の再構築。

「光がみえたよ」
その言葉は僕にとっちゃまさに希望そのもので、
僕という命の意味であり、
僕が僕を信じることのできる根っこであり、
心の底から純粋に願うことの力の源泉。
花の種が風に運ばれるように、
あらゆる出来事や出会いが僕をここに連れてきた。
そうしてここにある、不器用な未完成の作品が
生命のインスピレーションを振りまき、
幸せを願う相手の幸せに、それに光を注ぐことができる。
否定的に思っていた出来事や人間のすべてが洗い流されて、
そこにある本来の意味が、雪解けのふきのとうのように顔を出す。
胸の内側に、三千世界の桜が咲き乱れる。
ぎゅうとつまった感謝の光。満ち満ちる光。
溢れる溢れる、溢れ出す感謝の井戸水。
人にはその人にしかできないことがあって、
それこそがその命の意味であるならば、
生きるとはそういうことだし、人生とはそういうものだろう。
人生に何を望むか?
1億の年収か。他者からの羨望の眼差しか。
あほあほあほ。そんなんは80年代でバブリーに終わりにしておくれ。
人生に何を望むか?
この1回こっきりの人生に何を望むか?
そんなの、大好きな人の、人たちの、すかっとした笑顔に決まってる。
希望に満ちたキラキラとした目。
人生が贈ってくれるギフトへの感謝の涙。
そのために、自分を最大限に表現して、伝え、与え、
心を交わし、互いに支え励まし、成長し、そしてサヨウナラ。
そんな喜怒哀楽ぎゅうぎゅうの、
赤や青や黄色やなんやらかんやらでいっぱいの、
そんなドラマの一場面の、
次の宝探し。
まだ生きてるってことは、まだやることがあるってことですな。
命に意味があるし、この世界で何かしらの任務があるってことですな。
探求は続く。
楽じゃないけど。
29にもなってみんなそんなことしてないから、
たまにアホらしくなって無力感でいっぱいになるけど。
それでも信じないと。
自分で自分を信じないとな。
それに、意識してるかどうかはさておき、
本当はみんなみんな探求している。
誰かに必要とされ、誰かを笑わせている。
欠点だらけでも、ロクデナシでも、ホームレスでもニートでも、
IQ180でも、アルジャーノンよりバカでも、
みんな自分のやり方で大いなる探求をしてるんだ。
信じるために生まれてきた。
何度汚れても荒んでも、また世界は洗い流してくれる。
そんなすべてを信じて生きていきます。
僕を創ってくれたみんなありがとう。
これからもよろしく。
