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2012-03-28 Wed 04:20
人生は螺旋状に進んでいくという。
ぐるぐるぐるぐる、うずを巻くように。 2012年春、ここにきて、また今、 これまでの人生の全てのピースがひとまとまりになり 一つのピクチャーを描き出そうとしている。 それは僕の意志に関わりなく、 地球が自転するように、太陽の周りを公転するように、 宇宙の自然のなりゆきとして。 何か根源的なものが萌芽しようとしている。 それはつまり、ぼくという魂、 ぼくという人間が生まれた理由、まだ生きている理由。 そしてそれは Like a rolling stone♪ 転がる石のように、拍車をかけて進んでいく。 僕の心臓の奥に眠る資質が、才能が、花開こうとしている。 それは僕だけでなく、すべての人間のそれが萌芽開花する。 もうちょっと、もうちょっとの辛抱。 ただし、ノルかソルかでもある。 人類が誕生して100万年、 その誕生の理由、存在理由、 地球のガン細胞とも言えるこの種の生まれた目的が。 大切なのは、自分を生きること。 他の誰でもない自分を。 それは別に誰でもいい。 総理大臣でも、ホームレスでも、主婦でも、マエストロでも。 誰が誰であるかなんてどうでもいいのだ。 重要なのは、僕が僕を選んで生まれ、生きていることだ。 そのことに対して、僕は讃歌を歌おうと思う。 死んでいった全ての人間、生きている全ての人間、死にゆく全ての人間に、 すべての人間に、讃歌を歌おうと思う。 終わらない歌を歌おう。 |
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2012-03-21 Wed 03:07
運命というものについて。
2009年春、生まれて初めて占い師にみてもらったら 「あなたは役者です」と言われた。 生まれてこの方、1mmも検討したことのない職業だった。 当時僕はバンドでバイオリンを弾いていた。 2009年秋、友達の家にいこうと電車に乗ったら、 前日にホレて勢いで告ってフラれた女の子が乗っていた。 フラれ文句は「今を楽しんでないやつに興味はない」だった。 彼女は赤いコートに赤いスカートをはいて赤い帽子をかぶり、 携帯をいじる学生や疲れて眠るサラリーマンに混じって、 スケッチブックに一心不乱に絵を描いていた。 僕は息を飲み、 躊躇しつつも肩を叩いた。 すると、彼女は一瞬上を見上げ、 僕を視認し、3秒ほど凝視したあと、 黙殺してまたスケッチブックに一心不乱に絵を描き始めた。 翌日、両国で、 ダライラマ法王の講演会で隣に座った人が話しかけてきた。 彼は東京ノーヴィ・レパートリーシアターという ロシア人が演出をしている劇団で俳優をしていた。 半年後、両国で、 そのロシア人演出家が主催するワークショップに参加した。 その帰り道、電車に乗ると、「例の赤い」女の子がそこに居た。 翌々日、彼女がワークショップを見学しにきた。 その夜、彼女が電話をかけてきた。 「やるの?俳優。」 「うん、やる。」 その1週間後、心の恩師が死んだ。 その翌日、ロシア人演出家に、 「僕に演劇を教えてください。」 とお願いし、師事した。 その翌日、地元の友達が5年ぶりに電話をかけてきた。 そいつの家に遊びにいって、飲んで、泊まった。 翌日、そいつの家から外に出ると、 目の前に「明窓出版」という出版社があった。 死んだ心の恩師が書いた本を出版した出版社だった。 いったいぜんたい、東京都内に何百?何千の出版社があることか。。。 そして半年後、僕の初舞台の日がやってきた。 しかし、初舞台は中止になった。 3.11の大地震が日本列島を襲ったからだった。 僕は鬱病の役だった。 こんな時に、僕は鬱病の役作りをしている場合か? と自問自答した。 答えは出なかった。 2012年春、僕は相変わらず鬱病の役をやっている。 今、また大地震がやってきたとしても、 僕は役作りを続け、舞台に立つだろう。 それは、それが僕の運命だからだと思う。 |
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2012-03-21 Wed 01:31
今日は目が覚めると、太陽が窓から射し込んでいた。
直前まで警察に追いかけられて、空を飛んで逃げる夢を見ていた。 目を覚ましたあと、射し込む太陽と、布団の温かさと、夢の創造性でもって 僕は何か創っているんじゃないかという錯覚があった。 そして気分は最高に鬱勃としていたのだ。 やばい、と思った。 今日はサローヤンの喜劇の稽古があるのだ。 とりあえず演出家に弱音を吐いた。 「すいません、鬱勃として喜劇の気分になれません、やばいです。」 そして駒沢公園に行って梅を見て、 梅の下でヨガをした。 「ママー、木の下に死んでる人がいるよー」 ってちっちゃい子供に言われて、キレそうになった。笑 そして3キロほど走り、 オムレツを買い、 冷水のシャワーを浴び、 酵素玄米を食べ、 行きたくない行きたくない、 思いながら劇場へ行った。 気休めにリポDとリアルゴールドを飲んだ。 ああやばいやばい、どうしよう、どうしようもない。 舞台の上で生きることはなんと難儀なことか。 「生きるということ。。。」 と呟いて、友達のことを思い出した。 死んだ友達のことを。 「生きる」 不可思議wonderboy http://www.youtube.com/watch?v=HdS_AkLIsyM 下北沢のストリートを歩きながらしくしく泣いた。 鬱勃としながら喜劇を生きる事。 とても笑う気分になれなくても、 誰かを笑わせようと自分を捨てること。 鬱だろうが躁だろうが、今僕は生きているということ。 彼はもう生きていないということ。 僕はまだ生きているということ。 生きているということ。 生きているということ。 それだけでいいのではないか? 稽古は苦しかった。 内面を伴わない外面の動きと声。 骨がきしんで肉が千切れそうだった。 明るい音楽が辛かった。 顔の筋肉が壊れそうになった。 喜劇というのも中々難儀なもんだなあ。 明日はブレヒトの初稽古。 明々後日は、チェーホフ作「イワーノフ」の公演。 僕は生きていて、 大好きな演劇を一生懸命やっている。 それは生きているということだと思った。 |
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2012-02-17 Fri 17:08
自由。
それは純粋さも、夢想家であることも、 ナイーブさも、アナーキーであることも包含する。 Beirutの音楽のような、路上で生きる爽やかさ。 この世界そのものがHomeであるということ。 旅という在り方。 出会う人々への眼差し、初対面の他人にも10年来の親友にも、変わらず。 自由ということ。 与えられた自由でなく、勝ち取る自由。 何度も不自由を身に染み込ませて、また解き放つ自由。 自由さと不自由さの矛盾の中を 双方味わって飲み込むこと。 空飛ぶ鼠、地を這うコンドル。 さいごには、じゆうということを忘れること。 そして半径10mの人々をじゆうにしていきたい。 |
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